山形県川西町「古民家OHESO」
山形県川西町は米沢駅から車で30分、置賜地方のちょうど真ん中に位置しています。
江戸時代 宝暦4年(築270年)14代続く古民家を継承し、
国土交通省観光庁の「訪日外国人旅行者周遊促進事業費補助金(歴史的資源を活用した観光まちづくり推進事業)」の採択を受け、
古民家民泊・グランピング施設として計画を行いました。
●背景
江戸時代の川西町は、米沢藩が(現在の山形県東南部置賜地方)治め、農業を基盤とした農作物の生産が盛んでした。
先代は地域を納めておられていた名主で、江戸時代の農村社会において、非常に重要な役割を果たしていました。
自治的な運営、資源(水利)の管理、年貢の取りまとめ、教育、宗教行事、社会的規範、相互扶助など、
地域社会の基盤を支え、農村の安定と発展に寄与した名家だったそうです。
建物の間取りは、式台・違い棚・付書院・仏間を配した座敷の間・上段の間、格式を重んじる武家住宅の作りがなされていました。
付書院の床柱は紅葉の木で作られ、上杉家の伝統的な書院作りであったり、
間取り構成、陣帽子が出てきたり鎧兜などの蔵整理品から、武家の家柄だと推察できます。
屋内には土間があり、土間には煮炊きをする竈や囲炉裏があり、厩(うまや)、女中部屋もありました。
●コンセプト
「簡素で飾らない健康な美しさ」=「用の美」であり、この「用の美」こそ、「民藝の美」
築270年の住宅も、職人の技術、使いやすさ、こだわり、美しさがあり、今も感じとれますが、
時間の経過により「劣化」ばかりが目立つ建物になってしまいました。
劣化を『経年進化』として捉え、地域に訴えかける「新しい風」と「土着的文化」の融合を図ります。
●暮らし方を見つける体験型宿
・うららかに萌え芽吹く春。
・強い陽射しを受けて田畑に作物が産す夏。
・山も麓の町も田畑も鮮やかに染まり、稔りを喜ぶうちに足早に過ぎ去っていく秋。
・雪深くモノクロームの世界となる冬。
明瞭な季節が移ろう山形の風土に培われ、連綿とつづいてきた土地の文化と対話しながら、時を忘れて自分らしく滞在できる宿。
川西町は、歴史ある観光スポットやグルメだけではなく、自然、そこに住む人々の暮らしや息吹が感じられることが最大の魅力です。
里山と田園風景は自然と人の共存がつくりだした美しいアートです。
日本の住まいはもともと、障子・襖で空間を遮っただけの建物でした。
陽が昇れば目覚め、陽が落ちれば寝る準備をはじめ、外の光で時を感じ、風や雨音も聴きながら、自然のリズムと呼応して暮らしてきました。
やがて快適さや気密性を追い求めて壁や屋根は強固になり、分厚い鎧をまとう事で近所との関係も薄まり、
次第に自然と人、人と人との距離は遠くなっていきました。
地域活性を図りながら、自然と共生するくらし方を日常に取り戻します。
豪雪地帯の米沢・川西は屋根が埋まるほどの降雪となります。
寒暑を肌に感じ古民家ならではの時間を過ごして頂きたいです。
●地域の風、土、水の性質
この建物は270年物の長い時間をかけ町の景観となり、風土を作り見守ってきましたが、
人口減少、働き方、ライフスタイルの変化により風土も大きく変わろうととしています。
”風の人(旅人)”と”土の人(地域住民)”が出会い、その地域に「風土」が生まれ、
”水の人(コーディネーター)”が加われば地域は繁栄すると言われます。
風の人とは地域外から情報や人そして地域を変える種を持ち込んで来る人、
土の人とは地に足をつけてずっと営んでいる地元の方々。
そして水の人とは、風が運び土へ蒔いた種に水をあげる役目。
美しく厳しい風土に築かれた山形で、「田舎の風景と人為の調和」を感じさせるシカケ作りによって、
日々の生活を彩り、これからの100年さきの”風土”をつくりたいと思います。
山形県東置賜郡川西町下小松
築年数:約270年
敷地面積:敷地合計 3936㎡
木造2階建て(茅葺屋根)
計画建物面積:270㎡
photo : AKINORI HOSHINO